モータースポーツ

会社発足当時から技術の向上を目的にモータースポーツへの参加を積極的に行っており、1900年代初頭のヨーロッパにおける黎明期の公道レースでは、ルノー兄弟が自ら運転する大排気量の競技用車で多くの勝利を勝ち取っており、史上初のグランプリレースである1906年のフランスGPを優勝したことでも知られる。

しかしその過程では、当時のヨーロッパにおける最高峰の公道レースの1つである1903年の「パリ-マドリッドレース」における大事故で、運転助手を務めるマルセル・ルノーが事故死するという悲劇も起こっている。

第二次世界大戦後はアルピーヌやゴルディーニなどのチューナーを通じてル・マン24時間レースやラリーなどに積極的に参戦した。1973年に、それまでルノーの準ワークスチーム的存在であったアルピーヌを買収してモータースポーツ関連子会社のルノー・スポールを設立。以来、F1、ル・マン24時間レースなどの耐久レース、ラリーなど様々なカテゴリーで活躍を繰り広げ、1978年にはル・マン24時間レース、2005年と2006年には2年連続でF1のコンストラクターズとドライバーズの両タイトルを獲得するなどしている。

自社チームによりレースに参戦するだけではなく、ワンメイクレースの開催やフォーミュラ・ルノーなど若手レーシングドライバーの育成プログラムの充実などを通じてモータースポーツの振興にも力を入れている。

フォーミュラ1

革新的技術の積極的導入

1977年にはFIAフォーミュラ1世界選手権に、史上初の1.5ℓV6ターボチャージャーエンジンを搭載した車体でフルコンストラクター(車体もエンジンも自社で製作するチーム)として参入した。

当初は苦戦するものの、まもなく高い戦闘力を発揮し数々の勝利を挙げた。1980年代中盤までルノーチームとして参戦した後、1989年から1997年までエンジンサプライヤーとして、2002年以降は再びフルコンストラクターのルノーチームとして参戦し、さらに複数のチームにもエンジンを供給している。

これら3期いずれも強豪の一角に名を連ねたが、参戦のたびにターボエンジン、ニューマチックバルブ、低重心広角エンジン、といった革新性のある技術コンセプトを投入しており、単なる強豪にとどまらない影響を及ぼしている存在でもある。

2年連続チャンピオン

長らく低迷していたベネトンチームを買収して誕生した現在のルノーチームだが、この再建をも果たし、特に2005年以降はチャンピオンタイトルを争い、フェラーリやマクラーレンといったライバルを凌駕し、2005年と2006年の2年連続でコンストラクター(製造者)部門とドライバー部門(フェルナンド・アロンソ)の両タイトルを獲得した。

ラリー競技

ラリーで大衆車ベースとして投入される1960年代よりドーフィン、4、以降の世界ラリー選手権時代に入るまでは8、12、17をゴルディーニ仕様として投入、1972年、Gr.4マシンであるアルピーヌ・A110の投入、ジャン=クロード・アンドリューの活躍により、ライバルのポルシェはフェードアウト気味であったがフィアット、ランチア、フォード、BMCを凌駕。1973年WRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得する。以降、選手権が再開され、ランチア・ストラトスが席巻するようになってからはA310の熟成に時間を費やし、下のグループで走らせていた5をアルピーヌ仕様へ進化させ、80年代のグループB時代に入り5ターボマキシへと進化していくとFF車使いでもあるジャン・ラニョッティ、ブルーノ・サビーらの活躍により激しいトップ~中堅争いを繰り広げる。それが過ぎ90年代に入るまでにはルノー・クリオを投入する。

1970年代後半のERAヨーロッパラリークロス選手権にもA110は投入され、ヴィック・クォイトフが駆り、並居るポルシェ・911と中堅争いを繰り広げている。

Renault S.A.S.

種類 株式会社
本社所在地 フランス
ブローニュ=ビヤンクール、ケ ル・ガロ13-15
設立 1898年10月1日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車
代表者 カルロス・ゴーン(取締役会長兼CEO (PDG)、
子会社の日産自動車の社長兼CEOと兼務)
資本金 10億8,561万0,419.58ユーロ
売上高 406億82百万ユーロ
(2007年12月31日終了事業年度)
主要株主フランス政府 15.01%
日産ファイナンス(株) 15.00%
(2007年12月31日現在)