各国での製造・販売

日本市場参入

日露戦争後の1910年に、東京に本社を置く商社・水嶋商会を販売代理店として正式に日本市場に参入した。また1930年代には中外ルノーという会社が輸入業務を行っていた時期があった。その後1953年から1963年まで、日野自動車が「4CV」(日野ルノー)をライセンス生産し、多数がタクシーとして使用されたことから「亀の子ルノー」と呼ばれて大衆にも親しまれ、ルノーの名は日本全国に広まった。

相次ぐインポーター変更

その後、1977年に東京日産グループのキャピタル企業が輸入権を獲得し、ルノー・5などを輸入した。1983年にはミニなどを輸入していた「日英自動車」も加わり、輸入権は2社体制となった。1986年には当時、フィアット車を輸入していた「ジヤクス・カーセールス(JAX)」 が輸入権を獲得したが、1991年にドイツのフォルクスワーゲンがヤナセの撤退で東京地区のディーラー網を獲得するためにJAXを買収したため、ルノーの輸入は宙に浮くこととなる。

1993年には、独立系インポーター最大手(当時)のヤナセが子会社「フランス・モーターズ」を設立したが、競合車種の多いオペルとの兼ね合いでディーラー網を別々に作らなければならず、またトゥインゴなどの利幅の低い低価格車しか売れなかったことから、結果的に、親会社であるヤナセの経営を圧迫する原因にもなってしまった。このようにインポーターが次々と変わった結果、既存のオーナーに対して満足なアフターサービスをすることができないばかりか、新規顧客獲得のための継続的なマーケティング活動も出来ない状態に陥ってしまった。

2000年には、国内での販売を加速すべく初のルノーの100%子会社である「ルノー・ジャポン」が設立され、日本国内での輸入販売業務が強化された。その後同社は2007年に日産の子会社「日産トレーディング」に業務移管され、同社の一部門とされた。

生産拠点

2006年現在、ルノー本体としては本国フランスのほかにスペイン、スロベニア、トルコ(オヤック・ルノー)、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、モロッコなど世界各国に生産拠点を持つほか、ロシアやポルトガル、マレーシア、ウルグアイ、チリ、イランで組み立て(ノックダウン)生産を行っている。近日中にインドでの組み立ても開始する予定(マヒンドラ&マヒンドラとの合弁会社)がある他、中華人民共和国での生産計画も進んでいる。

また日産自動車や韓国のルノーサムスン自動車、ルーマニアのダチアなどの傘下企業が各国に生産拠点を持っており、生産と販売を行っている。 特にルノーサムスンにおいてはコレオス(韓国国内においてはルノーサムスン・QM5)とラティテュード(同ルノーサムスン・SM5)を全量生産・輸出するなど、近年、ルノーグループのアジアにおけるハブ的な役割を果たしている。

アジア太平洋地域

アジア太平洋地域においては、シンガポールに本部を置く(2006年までは日本の東京都に本部が置かれていた)アジア太平洋地域統括本部の指揮下で日本、中華民国、中華人民共和国、香港、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、オーストラリア、ニュージーランドと、フランス領および海外県のタヒチとニューカレドニアの合計12の国と地域で販売している他、マレーシアではタンチョンとの提携を行いカングーのノックダウン生産を行い、近隣諸国への輸出も行っている。

なお、オーストラリアでは1995年にフランスがムルロア環礁で行った核実験の影響でルノー車が売れなくなり、一時販売から撤退した時期があったが、その後傘下においた日産自動車の販売網を使って販売を再開した。

Renault S.A.S.

種類 株式会社
本社所在地 フランス
ブローニュ=ビヤンクール、ケ ル・ガロ13-15
設立 1898年10月1日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車
代表者 カルロス・ゴーン(取締役会長兼CEO (PDG)、
子会社の日産自動車の社長兼CEOと兼務)
資本金 10億8,561万0,419.58ユーロ
売上高 406億82百万ユーロ
(2007年12月31日終了事業年度)
主要株主フランス政府 15.01%
日産ファイナンス(株) 15.00%
(2007年12月31日現在)